宇佐美 さやか

うさみ 清香
日本共産党横浜市会議員
うさみ日記

真冬に戻った(>_<)

2017年3月26日

DSC_4577 冷たい雨が降る中、4人で保土ヶ谷区の西谷浄水場のお隣に在る横浜水道記念館にお邪魔しました。

 現代水道発祥の地、横浜。今年で130年を迎えます。と、同時に近代消火の発祥の地でもあることも知りました。

 ビデオを30分観て、ヘンリー・スペンサー・パーマーさんの功績を拝見。この方が、横浜に近代水道をつくったといわれる方。

 横浜は、海を埋め立てた土地で、どこを掘っても塩分を含む水しか出てこなかったため、ひしゃく1杯が高価で貴重だったとか。そこに、コレラなどの感染症が流行り、安全な水を求める声と、当時の横浜は火事も多く、建物を破壊する消火、延焼を防ぐ方法ではなく、放水による消火を求める声もあり、水道が必要とされた。

 木樋水道も、一部の企業によって造られたそうですが、これは、中々うまいこといかなかったそうです。

 1885年に着工した工事は2年後に横浜に綺麗で安全な飲み水を運んできた。まだ高い水道水は、10戸くらいで1つの水道栓を道端に建てて、それぞれの家で鍵を持ち、使う時に鍵をさして、必要な量を出す。でも、この時も、やっぱりお金持ちの物だったという。少し、時代が進んでも、まだ高価な水道水は、お金持ちの家にだけ水道管が敷設されたとか。

 今のように、蛇口をひねると水が出るのは、本当にありがたいことだと、しみじみ。

 あっ!パーマーさんの功績ばかりが注目されていますが、三田 善太郎という人物は、パーマーさんよりも早く、下調べをしていたということを、教えていただきました。それを、パーマーさDSC_4578んがより良い物にして、政府に提出したというのが、事実だそうです。三田さんという人物に、興味がわきましたが、この興味は、また別の機会に調べてみょうと思います。

 当時の工事費100万円の内、一番お金がかかったのは、イギリスから船で運んだ導水管だったそうです。その額60万円。人件費いくらだったの(>_<)と、思うのですが、物凄い人出で全て手作業(+_+)想像を絶する作業だったことは、言うまでもないことです。作業された方々の功績も讃えてほしい。

 同じ敷地に在る、水道技術資料館には、明治・大正の給水装置や配水管、ろ過池の模型やドイツ製の導水管があり、昔使われていた道具などが展示されています。閉館間際で、ゆっくり見られず(;^_^A と、いうことで、今度は桜が咲く頃にまた行こうかと思います。

 今日、案内をしてくださった方は、水道の博士のような方で、水道のことは勿論、歴史も良くご存じで、お話が面白い(*´▽`*)

 水の大切さと歴史の勉強もできて、とても有意義な時間を過ごすことができました。ご興味のある方は、ぜひ行ってみてください(^O^)桜の木が沢山植わってます!お花見も兼ねて行ってみてください(*´▽`*)

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